吉川の歴史を知りたい!
大昔から江戸時代
およそ3千年くらい前の吉川は、東京湾の海の底でした。海が後退して人々が暮らしはじめたのは、古墳時代(6世紀から7世紀)の後期以降といわれています。
7世紀から8世紀ごろには、この地域でお米が作られていたことがわかっています。
14世紀の後半には、50戸以上の集落であった吉川郷と彦成郷(三郷市)の二郷と、その南にあった50戸に満たない集落の半郷を合わせて「二郷半領」と呼ぶようになりました。(吉川駅北口のさくら通り沿いに木売落しとならんで流れている川が「二郷半用水路」です)
江戸時代には幕府直轄領となり、新田開発が進められ、吉川周辺は早生米の産地として発達しました。
また、取れた米を江戸に運ぶため、中川を利用した舟運が発達し、現在の吉川橋周辺は吉川河岸・平沼河岸と呼ばれ大変栄えました。(稲わらで作るわら工品も続々と出荷され、その伝統は近年まで大相撲の土俵だわらづくりに受け継がれていました)
明治から大正時代
明治維新は大政奉還(徳川氏から政治を行う権利を朝廷[天皇]に返したこと)からはじまり、それまでの藩から県が置かれました。
その後、明治の大合併によって、吉川、三輪野江、旭の3つの村ができ、学校や橋がつくられ、電灯や電話がひかれるなど近代化が進みました。
- 明治2年 廃藩置県によって、吉川は小菅県(一部は葛飾県)に入り、明治4年に埼玉県に入りました。
- 明治22年 それまでの小さな村が合併により、16ヵ村が吉川村に、15ヵ村が三輪野江村に、7ヵ村が旭村になりました。
(3村の合計人口は11,756人)
- 明治6年 芳川(現吉川小学校)、時習(現三輪野江小学校)、郁文(現旭小学校)の各学校ができました。
- 明治8年 中川に徳江橋(現吉川橋)がかけられました。(長さ150メートル、幅4.5メートル)
- 大正4年 吉川村が吉川町になりました。
- 大正7年 電灯がつきはじめました。
- 大正9年 電話がひかれました。
昭和から現在
昭和の大合併により、現在の吉川市である吉川町が誕生しました。
上水道や下水道が整備され、市庁舎や消防署などの公共施設がつぎつぎに建てられました。
また、武蔵野線の開通や、吉川団地やきよみ野などの新しいまちができたことで人口が増え、平成8年4月1日に吉川町から吉川市となりました。
- 昭和22年 カスリーン台風の大洪水で、2,269戸の家が浸水の被害にあいました。
- 昭和33年 吉川町、三輪野江村、旭村が合併し、新吉川町が誕生しました。(人口は16,477人)
- 昭和33年 水道が敷かれました。(三輪野江と旭の地域は昭和35年から)
- 昭和43年 町役場の新庁舎(現在の市庁舎)が完成しました。
- 昭和46年 県立吉川高等学校、消防署、給食センターができました。
- 昭和48年 武蔵野線が開通し、吉川駅が開業しました。吉川団地、関小学校もこの年にできました。
- 昭和56年 町民プール(現屋外市民プール)ができました。
- 昭和59年 千葉県野田市を結ぶ玉葉橋がかけられました。
- 平成2年 吉越橋が開通、新川橋がかけ替えられました。
- 平成6年 消防署新庁舎が完成しました。
- 平成8年 市制を施行し「吉川市」となりました。(人口は53,443人)
- 平成11年 市民交流センターおあしすがオープンしました。
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平成13年 吉川駅前ラッピーランドがオープンする。
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平成14年
- アクアパーク調整池公園ができる。
- なまずの里防災公園ができる。
- 平沼地区公民館を兼ねそなえた吉川小学校新校舎が完成する。
- 子育て支援センター、ファミリーサポートセンターが開設する。
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登録日: 2009年1月26日 / 更新日: 2009年8月27日



