あなたはすごい力で生まれてきた

出産は、母親と赤んぼうの二者の共同作業である。
母体の力もすごいが、赤んぼうの持っている力も大変なものだ。
大人たちはよく、「あなたを生んだ時はねえ、とっても難産で大変だったのよ。」
などと、母親だけがいっしょうけんめい生んだような言い方をするけれど
それは半分しか当たっていない。
赤んぼうのほうだって、命がけで力をふりしぼって生まれてきたのだ。
大人と違って赤んぼうは、それを覚えていないだけである。
そして、母親を含む大人たちも、子どもの側の力をうっかり忘れているのだ。

あなたは、出産のことをどんなふうに聞いているだろうか。
「痛い」ということはだれでも聞いているだろう。
この痛みには、リズムがあって、痛んだり、休んだりする。
休む時間があるから、母親の体が疲れきってしまわないわけだ。
つまりあなたは、少しずつ、呼吸をはかりながら、動いたり止まったりして
外の世界へ安全に出ようとし、そして無事に出てきたというわけなのだ。

痛みのほかに、「いきみ」という現象が母親の体に起きる。
それは赤んぼうの生れ出ようとする力に呼応して
母親が赤んぼうを押し出そうとする運動である。
これは、ある時点で自然に起きてくる、いわば、赤んぼうへの励ましの動作である。
ああ、体ってかしこいな、うまく動いて赤んぼうを外の世界へ導いてやろうとするものだな、と驚いてしまう。

そんなふうに考えてくると、赤んぼうが外界へ出たときにあげる産声は
母親と一緒の共同作業が終わって「やった、やった。」と叫ぶ声のようにも思えてくる。
せまい産道をくぐりぬけて新しい世界の中へ出てくるのは、とにかく命がけの、数時間もしくは数日にもわたる仕事なのだから。

そうやってあなたは生まれてきた。
生きる力のかたまりとして。
(略)

流産してしまう命もある。
生まれるときに途切れてしまう命もある。
でも、あなたは生まれてきた。

私たちは、ときおり、自信をなくしたり、自分が嫌いになってしまったり、
毎日生きていくことにつかれてしまうこともある。
あなたも学校で、友達とうまくいかなくなったり、家族の中でもめ事があったりして
朝起きるのも嫌になってしまうこともあるだろう。
けれど、自分は生まれるべくして生まれ、生まれえなかったたくさんの命の代表として
今を生きていると思うことで、自分をはげまし、ほかの人々とつながっていこうという勇気を
呼び起こすことができるのではないだろうか。
 

上記のお話は、小澤牧子さんという方の「あなたはすごい力で生まれてきた」の中の一文です。

援助希求力

親も子どもも一生懸命。
そうやって生まれてきた命です。
もしも、つらくなってしまったら、苦しくなってしまったら
助けを求めてください。
こんなことで助けてって言っていいのかな?
親だって子どもだって
「助けて」と言っていいのです。
「助けて」といえる力「援助希求力」が必要です。