2月16日、イオンタウン吉川美南の特設会場には、穏やかながらも情熱を感じさせる飯館村の菅野典雄村長のお話しが響きわたっていました。

村長へタスキを渡す市長 タスキをかける市長

『「までい(真手)」とは「両手で丁寧に、真心を込めて」という福島の方言の一つです。飯館村では、その「までいの精神」を理念に「村づくり」を進めてきたのですが、原発事故で、一瞬にしてそれらが失われてしまったのです。』

会場の100名を超える市民の方々は、そんな菅野村長のお話しに真剣に耳を傾けていました。

説明をする村長 補足説明をする市長

福島県飯舘村は、景色の美しさはもちろん、独自の地域文化も評価され、「日本で最も美しい村」に認定されていました。

しかし、東日本大震災に伴う福島第一原発事故により「全村民が避難しなければならない地域」となってしまったのです。

けれど、菅野村長を先頭に、村民が力を合わせて復興の道を進み、2017年には一部地区を除いて避難が解除され、新たな小中学校も開校し輝きを取り戻しており、そうした飯館村の取り組みは、「日本の進むべき未来の姿がある」と、日本国内はもとより、諸外国にも注目されています。

吉川市では、「復興支援職員」を派遣したり、「復興プロジェクト・きぼうの桜植樹」を共に開催するなど、様々な形で飯舘村との連携を深めてきました。

物販をする職員 村長と記念撮影

そうした中でこの日は、菅野村長が「吉川市の一日市長」に就任してくださり、飯館村物産展と共に「当たり前のことにも日々感謝して生きてゆく村づくり」についてお話しくださったのです。

取材を受ける村長 飯館村職員と記念撮影

後も飯舘村への復興支援を継続する中で、「3.11」あの日のことを過去のことにせず、さらに、飯舘村の取り組みを多くの市民に知っていただき、参考にさせていただく中で、吉川市の目標である「市民一人ひとりの幸福実感の向上」を市民と行政との共動により実現してゆきたい、そう考えています。

 

令和2年3月11日

吉川市長 中原恵人